【外国の庭】
シシングハースト・キャッスル・ガーデン その2...2008/07/08
その1では エントランス、中庭、ワイルド・ガーデン、ホワイト・ガーデンと見てきました。その2では ローズ・ガーデン、コテージ・ガーデン、ハーブ・ガーデン、空堀、TowerLawn、果樹園などを見てみましょう。
ローズ・ガーデンの風景
ローズ・ガーデンは55m×30mの庭です。「中世の壁」と生垣で仕切られています。そして 中央の生垣のサークルが庭を2つに分けています。
コテージガーデンの風景
空堀の小径の風景
ハーブガーデンの風景
およそ15mの四角いハーブ・ガーデンでした。たくさんのハーブが育てられていました。庭に入ると いい香りがしていました。
Tower Lawn と 果樹園の風景
ボートハウスからの眺め
シシングハースト・キャッスル・ガーデンを見て ヴィタ・サックヴィル・ウエストを思うと 日本の桂離宮と重なりました。
桂離宮を作ったのは八条宮初代智仁(としひと)親王。正親町(おおぎまち)天皇の長男の6番目の子として育ちました。そこに 子供の居なかった関白豊臣秀吉は養子縁組で智仁親王を迎えいれられました。
しかし 淀殿に子ができたため 3000石で追い出されてしまいました。智仁親王が二十歳になったとき 実兄の御陽成(ごようぜい)天皇から弟の智仁親王に天皇の地位を譲ろうとしましたが 時の権力者の徳川家康の反対にあって天皇になることができませんでした。
智仁親王は 多才で 特に源氏物語相伝を与えられた研究者でもありました。
桂の離宮は 源氏物語のストーリーの舞台となった藤原道長の別荘 桂院 と同じ場所であり 道長の子孫としての智仁親王は この桂の離宮の造営を強く思ったのでしょう。
この世に生を受けて 翻弄される人生を どう生きていけばいいのか。 自身の先祖に関係する場所に庭を造ること。自分の文学への探求もあって 情熱を傾けるという 桂離宮の智仁親王と シシングハースト・キャッスル・ガーデンの ヴィタ・サックヴィル・ウエストが重なって見えたのでした。
ローズ・ガーデンの風景
塔から ローズガーデンを見下ろすと右半分が見える。 | ||||
直径12mのサークル。人が向かうのはライムの小径(60m)。 | ||||
コテージガーデンの風景
塔より見るコテージ・ガーデン。2本の大きな木の前にあるのがLimeWalk。 | ||||
この4本? | ||||
空堀の小径の風景
空堀を眺めるためのシート | ||||
ハーブガーデンの風景
カーペット・ベディング(もうせん花壇) | ||||
およそ15mの四角いハーブ・ガーデンでした。たくさんのハーブが育てられていました。庭に入ると いい香りがしていました。
Tower Lawn と 果樹園の風景
タワーから真下を覗くと Tower Lawn が見える。 | ||||
ボートハウスからの眺め
塔から見た果樹園とボートハウス | ||||
桂離宮を作ったのは八条宮初代智仁(としひと)親王。正親町(おおぎまち)天皇の長男の6番目の子として育ちました。そこに 子供の居なかった関白豊臣秀吉は養子縁組で智仁親王を迎えいれられました。
しかし 淀殿に子ができたため 3000石で追い出されてしまいました。智仁親王が二十歳になったとき 実兄の御陽成(ごようぜい)天皇から弟の智仁親王に天皇の地位を譲ろうとしましたが 時の権力者の徳川家康の反対にあって天皇になることができませんでした。
智仁親王は 多才で 特に源氏物語相伝を与えられた研究者でもありました。
桂の離宮は 源氏物語のストーリーの舞台となった藤原道長の別荘 桂院 と同じ場所であり 道長の子孫としての智仁親王は この桂の離宮の造営を強く思ったのでしょう。
この世に生を受けて 翻弄される人生を どう生きていけばいいのか。 自身の先祖に関係する場所に庭を造ること。自分の文学への探求もあって 情熱を傾けるという 桂離宮の智仁親王と シシングハースト・キャッスル・ガーデンの ヴィタ・サックヴィル・ウエストが重なって見えたのでした。