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シシングハースト・キャッスル・ガーデンは 詩人で作家のヴィタ・サックヴィル・ウエストと、外交官の夫ハロルド・ニコルソンが、1930年から20年以上をかけて作った庭園です。プロは限りある予算と時間の中で、間違いのない仕事をする。しかし素人は 可能であるならそのすべてを賭けて庭を造ることができる。
素人が手がけた庭の中でも 今、イギリスで人気の庭が このシシングハースト・キャッスル・ガーデンです。




詩人で作家のヴィタ・サックヴィル・ウエストは 部屋数が365室つまり 毎日変えても1年かかるほどの 愛称カレンダー城(Knole城)で育ったお姫様。一人娘ではあったが 女には相続権がないとの決まりで その城は従兄弟の手に渡る。

夫 ハロルドが庭の骨格を担当したとある。この庭のプランはしっかりとした確かな感覚で設計されている。バランス感覚はすばらしい。立体的なセンスも抜群。建築家としても成功するだけの才能があるのではと思う。彼のプランは(資料で確認していませんが)プロの手によって作られている。塀や生垣とか空堀などの庭の骨格を作る伝統的な手法であり プロの手で作られていると思います。
ヴィタが植栽とカラースキームを担当、特にヴィタの詩人としての感性はすばらしく(私は彼女の小説も詩も読んではいません、詩人と言うだけで勝手に思い込みで決め付けるのは失礼千万ではありますが) 色彩感覚と構成がすばらしいので 現代の人を引き付けているのではないでしょうか。(もっとも現在の庭は ナショナル・トラストの人たちが作っているもので ヴィタのものとは違っているかもしれませんが。)


塔より正面ゲートの方向を見る
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正面ゲート前。
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二人は結婚当初 彼女の育ったKnole城の近くに Long Barn (長い小屋)と称する家と庭を造っていた。シシングハースト・キャッスル・ガーデンつくりの準備期間といえるかもしれない。彼女は ブルームベリー・グループ(1906年から30年頃に活躍した知識人や芸術家の集まり)との親交があった。 彼らは豊かな教養を備えたアッパーミドルクラスの出身で、知性と美に満ちた20世紀の自由な文化を開拓しようとした。バージニア・ウルフ(作家)、E・M・フォースター(作家)、ジョン・メイナード・ケインズ(経済学者)、リットン・ストレーチー(批評家・伝記作家)、ロジャー・フライ(美術批評家)、クライブ・ベル(美術批評家)、ダンカン・グラント(画家)、ヴァネッサ・ベル(画家)、レナード・ウルフ(作家・出版者)先輩格として、哲学者バートランド・ラッセル、G・E・ムーア、政治学者G・L・ディキンソンも広義には含まれる。
彼女は ヴァージニア・ウルフと同性愛の関係でもあった。夫も同性愛者であり 夫婦は庭を作ることで生活を共にしていたといえる。


塔より 中庭(左側)を望む
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中庭から見上げる 塔の高さおよそ20m
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パープルボーダー 
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ヴィタ・サックヴィル=ウェストは 夫婦で Long Barnを作っている頃に イングリッシュガーデンのパイオニアと称されるガートルード・ジーキルとも親交を持っていた。ミス・ジーキルは20代にアーツアンドクラフト運動のウィリアム・モリスやジョン・ラスキンの運動に加わっている。
ヴィタはジーキルから カラースキムについて学んだはずである。ジキールよりヴィタの方が柔らかで微妙な色彩だという評がある。ヴィタはジーキルの色使いのうち 赤の使い方には賛同できなかったようだ。強い赤は好きにはなれなかった。オールド・ローズは ヴィタの好きな やさしい赤(ピンク)であったから この庭には たくさんのオールド・ローズで埋め尽くされているのではと思います。オールド・ローズに対してモダン・ローズは中国産のバラによって作られた品種で 真紅のバラが代表的で 年に2度咲きなどの特徴があるとのこと。
ヴィタが庭を造る上で付き合いがあったのは ヒッドコート・マナー・ガーデンを造ったロレンス・ジョンストンであった。ジョンストンはアメリカ人であったが英国に帰化しケンブリッジ大学に入り英国陸軍で武勲をあげて少佐に昇りつめている。ヒッドコートを手に入れたのは(金持ちの母親からのプレゼント)1907年。ヴィタがLong Barnを手に入れたのは1915年であった。そのころ英国に作庭ブームが訪れようとしている頃である。
ヴィタが彼と話をするには問題があったかもしれない。ブルームベリー・グループのもう一つの顔は良心的兵役拒否者だからだ。しかし退役軍人ジョンストンは地味で 控えめな性格であったとあります。庭の話をするのに問題はなかったのでしょう。





写真を見やすいようにYouTubeに登録してみました。
下にある写真と同じものです。画像は荒れてしまいました。
広く平坦な中庭から 一転 ワイルド・ガーデン。
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この庭は カントリーをテーマにした ワイルドな庭だ。写真にはないが 曲がりくねった道(20mほど)の先には 農作業用のアーバン(小屋)が見えていてその先には 田園風景が広がっています。
庭を自ら作ろうとすれば 手作業です。対象物と近い関係で物事が決められます。風景式庭園は 庭師に依頼して造らせるもので 貴族でしかできないものでした。風景式庭園が自然を大事にする庭だと言い張ってみても 実際 自分の手で庭を作るとなれば 風景式は大きすぎて 自然だと言われても にわかに信じられないし 絵空事としか思えない。
イギリスの庭には 2つの庭があるといえないでしょうか。(誤解を恐れず、私たちが簡単に英国庭園を都合よく理解するにはという意味で)一つはプロに頼んで作った庭。もう一つが自分で作る庭です。シシングハースト・キャッスル・ガーデンは 自分で作る庭の代表だと思います。
人間どうにもならないことにぶち当たった時 庭を 自分でつくり始める例が多いといえます。
お世辞もない。おべんちゃらもない。庭はやった分だけ 答えてくれる。だめなら花も咲かない。自分が正しいことをした時は きれいに花がさいてくれる。誰にも分からない喜びだ。確かな喜びを 庭と草木と分かち合える。もう孤独ではなくなる。季節や自然と一体に成れる。だから 人は庭造りに夢中になる。
現代人は ストレスを強く感じることが多くなる分、庭を自分で作ろうとする人が増えてきたし、これからも増えていくでしょう。
ヴィタ・サックヴィル・ウエストが お姫様として 受けようとした財産は 過去の歴史の賜物であり それが受けられない運命があったとしても過去に決められたこと。 過去にこだわり続けていては何も生まれてはこない。廃屋を見て これだ ここに 自分の手で 確かな手ごたえを感じられる庭を造ってみよう。自分の手ずからなら ワイルド・ガーデン カントリー・ガーデン コテージ・ガーデンとそういう方向に自然にむいていくのではないだろうか。そして自分でやるということが もう お姫様ではないし 純粋に新しい庭を作り出すこと自体に興味持つようになってきたのではないでしょうか。 ブルームベリー・グループから刺激を受けた 20世紀の自由な文化を自らの庭で実現したかったのではないでしょうか。 
夫ハロルドは 歴史や文芸の評論家でもあった。中途半端な庭ではなく しっかりとした 新しい庭を造ることで 協力できたのではないかと この庭を見て感じました。
夫ハロルドの作る骨格のラインは 伝統的手法で安心して造ることができるものです。それに ヴィタの何ものにもとらわれない 自由な植栽のデザインが加わっることで われわれ見るものには 「確かであるが自在な庭」を感じさせているのではないでしょうか。




文章
塔から見た ホワイト・ガーデン 右の四阿は ボートハウス
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白いバラが 満開であったらさぞ きれいだろうに。
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1930年 ヴィタはここシシングハースト・キャッスルを手に入れることになった。彼女の家系と同じエリザベス朝の一族のものであったのが きっかけとなった。しかし廃屋で無残な姿になっていたそうである。このころは田舎暮らしもブームも 作庭ブームもひとしきり納まったころであった。世界大恐慌は1929年であることからも この土地と建物を購入することは 何か大事なことだったのでしょう。
Knoleに近い新婚時代から 作り上げてきた Long Barnを捨てて 新しいチャレンジをしようとするには 彼女に何か秘めるものがあったのだろう。まさに 逆シンデレラであったヴィタ。365部屋の屋敷の近くで小さい小屋を作っていくには何かむなしいものがあったのではないかと 推測します。
男女平等意識が高まって1928年女性にも選挙権が与えられた。ヴィタにとって 性差による不利益についても 考えるところがあったのでしょう。しかし大きい歴史の中で個人の力ではどうにもならないものを感じていたのではないでしょうか。
そんな気持ちを 庭造りに没頭させたのではないでしょうか。これだけの大事業を成し遂げるには 心の中に大きなエネルギーの源があるはずです。