左側の写真が今回行ったドイツ 右が昨年のイギリスです。左は 昨日のブログで紹介したウラン鉱山跡地に、今回 ガーデニングショウが開催されることで作られたものです。
イギリスのものは バーミンガムの大学敷地内の植物園の庭です。ドイツの庭はイベント用 イギリスのは 長い年月を経た庭です。 通りすがりの旅人が 思い込みの感想を述べているに 過ぎません。勝手な話で恐縮です。


 
ドイツは きれいな花を集めて 見せようとしています。当然ですよね。でも イギリスのものは 行った季節が悪かったのかもしれませんが ?? 期待はずれでした。花は一年中咲いている訳ではないので 年中奇麗というのは難しいものです。


 
ドイツのものは 高さも同じように 揃えて見せるようにしています。イギリスのものは高さは不揃いです。同じ高さにしていません。同じものの繰り返しは あえて避けているようです。カラーガーデンの花が散ってしまったら 同じ背の高さの葉っぱがならんでいるだけでは つまらないかもしれません。ジキール女史のカラーガーデンは ほとんど残っていないそうです。それは毎年 苗木を植えていかなければならないからです。イベント用としては良くても 続けることは大変です。



 
ドイツのものは きれいな花を 一つの塊としてまとめることで印象を はっきりさせています。イギリスのものは 一本一本が主張しています。


 
ドイツ(イベント用)は 主張を 集団で形作ろうとしています。イギリスものは 同じものがあっても 同じところに 固めて置くことはしていません。


 
イギリスのものは 何これ? ただ 生えているだけではないか?と 園芸家、作者の意図が見えないように 自然に生えているようにしてあります。作者たるガーデナーは 自らの姿や主義主張を 隠しています。

私たち日本人は かつて自らの歴史に持つ美意識 「きれい寂」を理解するところまできていないのだと思います。イギリスのガーデニングは きれい寂の世界を実現していると思います。

ちょっと飛躍しますが 今 日本のガーデニングは ドイツのそれと ほとんど同じと 感じられます。公園にあるガーデニングはイベント用です。お祭りの雰囲気です。

「そうだ京都に行こう」などのコマーシャルは 「満開の桜」 「数千本のアジサイ」 「全山紅葉」です。同じものがいっぱいあることが好きなのでしょう。

庭を見に行ってると考えない方がいい お祭り好きがお祭りに参加していると考えるとわかりやすいですね。

自然を愛でる お祭り精神を持っているんだから そのエネルギーを庭を楽しむ気持に変わってくれれば 日本の庭文化が再生するのではと 期待しています。
お祭りの華やかさが きれい寂を愛する精神につながっていくような気がします。 可能性は多いにあるのではと 思います。