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2008

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ウィズリー・ガーデン (RHS Garden Wisley 王立園芸協会)は 庭のモデル展示場、苗木屋さん、研究所、職業研修所、などたくさんの仕事をしている。
展示されている植物には ネームプレートがつけてあり 植物の名前を知るにはこのガーデンが一番手っ取り早いかもしれない。学術的であり 実践的であり 百科事典のような庭である。


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ウィズリー・ガーデン (RHS Garden Wisley 王立園芸協会)は 庭のモデル展示場、苗木屋さん、研究所、職業研修所、などたくさんの仕事をしている。
展示されている植物には ネームプレートがつけてあり 植物の名前を知るにはこのガーデンが一番手っ取り早いかもしれない。学術的であり 実践的であり 百科事典のような庭である。


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ウィズリー・ガーデン (RHS Garden Wisley 王立園芸協会)は 庭のモデル展示場、苗木屋さん、研究所、職業研修所、などたくさんの仕事をしている。
展示されている植物には ネームプレートがつけてあり 植物の名前を知るにはこのガーデンが一番手っ取り早いかもしれない。学術的であり 実践的であり 百科事典のような庭である。


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ウィズリー・ガーデン (RHS Garden Wisley 王立園芸協会)は 庭のモデル展示場、苗木屋さん、研究所、職業研修所、などたくさんの仕事をしている。
展示されている植物には ネームプレートがつけてあり 植物の名前を知るにはこのガーデンが一番手っ取り早いかもしれない。学術的であり 実践的であり 百科事典のような庭である。


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ヘンリー8世(在位1509-1547年)の居城。イギリスに中央集権体制を作った王様 フランスのベルサイユど比べれば 質素な住まいだ。元は 家臣が建てていた家で 国家財政を考えればいい話である。
マルチン・ルターの宗教改革を横目に見ながら 小さい修道院を取り潰すことで財を成し 余勢をかって大きい修道院も支配下においた。支配権力を固め 自分の離婚を了承しないカソリックを潰し イギリス国教会を作り上げた。ヴァチカンに流れる富にストップをかけ 蓄積されたカソリックの財産を国有化するという離れ業を成し遂げた。過去から積み上げられてきた宗教関係の富を 国家の財政運営にあて 強いイギリスを作り上げることになった。
取り上げた修道院関係の土地なども戦費調達のため売りにだし ヨーロッパ大陸に領土を確保しようとしたが失敗。 大陸をあきらめ 新大陸発見に向かうことになった。6人の妻との結婚・離婚をくりかえし 側室など 私生活も大いに活発。大食漢でメタボなおとっつあん。
日本では 織田信長(1534〜1582年)が活躍していたころである。
この屋敷と庭をはじめに造ったのは宗教界の最高権力者ウルジー枢機卿。ヴァチカンにも詰めていたのでイタリアの建築や造園には理解があった。イタリアの影響のある庭である。離婚問題で バチカンとのやり取りで ヘンリー8世の狙い通りに仕事が進まないことを気にして 欲しがっている館を献上することで 命乞いをしたといういわく付きの物件。


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イギリス(ブリテン島)は ローマ帝国の属州としてくみこまれ ローマの優れた土木建築技術により 道路などのインフラの整備、市場や店舗の計画的配置 そして優れた農業技術も導入された。ローマ帝国が衰えていくまで400年ほど新しい文明を受けることができた。
CHESTERは ローマの城塞を意味する言葉で ウィンの城塞が ウィンチェスターである。
また 学園都市として多くの学校がある。左の写真は 1382年創立のウィンチェスター・カレッジ。


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コッツウォルズ北の中心的都市。チッピング・カムデン(Chipping Campden)は、羊毛産業で富を蓄えた商人たちによって作られた。
街外れには 茅葺屋根のきれいなコテージがある。飾り付けられた棟飾りは刺繍のように編みこまれた模様がきれいで楽しい。
茅葺屋根とマッチする大刈り込みの生垣がさらにドラマチックにしてくれる。



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コッツウォルズ アッパー、ローアー・スローター村は バートン・オン・ザ・ウォーターの郊外にあります。
丘陵地帯のなだらかな丘 ゆったりと流れる小川 牧場と森 そして川沿いには ライムストーンで作られた家が建ち 自然の中に豊かな生活が垣間見られました。


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ロンドンから100〜150Km、北西部にに広がる丘陵地帯が コッツウォルズ。農業革命によって いい羊毛が取れることで豊かになった。しかし (綿布の工場生産による)産業革命の波には乗れず 開発から置いてきぼり。しかし 最近 オーガニックやスローライフの流れに 脚光を浴びるようになった。
バスに乗り遅れたから すばらしい環境が得られた例といえるのではないでしょうか。


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フランスで育ったアメリカ人のローレンス・ジョンストンが 1907年にヒドコート・マナーに移り住み 40年の歳月をかけて完成させた庭。
アーツ&クラフト運動や ガーデン・デザイナーのジーキルなどの影響を受けつつ独学で園芸を学び自ら中国やアフリカなどプラントハンティングもして 新種の植物なども庭に植えた。
その2では 英軍隊の仕事も退役し 庭に専念できるようになって作られた庭を見てみましょう。


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フランスで育ったアメリカ人のローレンス・ジョンストンが 1907年にヒドコート・マナーに移り住み 40年の歳月をかけて完成させた庭。
アーツ&クラフト運動や ガーデン・デザイナーのジーキルなどの影響を受けつつ独学で園芸を学び自ら中国やアフリカなどプラントハンティングもして 新種の植物なども庭に植えた。
母親と一緒に造った初期の小さい庭をまず見てみましょう。


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キフツゲート・コート・ガーデンは イギリス コッツウォルズ地方の チッピングカムデンにあります。
女性3代(祖母 へザ・ミューア、母 ダイア二ー・ビニー、娘 アン・チェンバース)によって 造られてきました。NHKでも放送されて話題になりました。
庭は 高台に建つ館の庭と 階段を下りて行くLower Gardenによって成っています。

その2では キフツゲート・コート・ガーデンのいくつかのボーダーと 3代目のアンが作ったウォーターガーデンを見てみましょう。


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キフツゲート・コート・ガーデンは イギリス コッツウォルズ地方の チッピングカムデンにあります。
女性3代(祖母 へザ・ミューア、母 ダイア二ー・ビニー、娘 アン・チェンバース)によって 造られてきました。NHKでも放送されて話題になりました。
庭は 高台に建つ館の庭と 階段を下りて行くLower Gardenによって成っています。
その1では 館のすぐ前の庭とLower Gardenを見てみましょう。


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コッツウォルズ地方には 美しい風景と味わいある建物がたくさんあります。  モリスの評価した美しい村 バイブリーから 歩いて1時間ほどのところに バーンズリーハウスがありました。
この庭も 一人の女性(ローズマリー・ヴェリー夫人 2001年逝去)が1960年代から手をかけて作り上げた庭です。
庭を造りながら 才能を開花させ女性園芸家となり スードリー城のノット・ガーデンなども手がけています。またチャールズ英皇太子の園芸の先生でもあります。英国皇太子はオーガニック推進者でも有名です。
ライム・ウォーク、キングサリの径 そして 有名なポタジェ(キッチンガーデン)をみてみましょう。そして最後にブランコを楽しみましょう。
(バーンズリーハウスその1を見る。)


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コッツウォルズ地方には 美しい風景と味わいある建物が残っています。  モリスの評価した美しい村 バイブリーから 歩いて1時間ほどのところに バーンズリーハウスがありました。
この庭も 一人の女性(ローズマリー・ヴェリー夫人 2001年逝去)が1960年代から手をかけて作り上げた庭です。
庭を造りながら 才能を開花させ女性園芸家となり スードリー城のノット・ガーデンなども手がけています。またチャールズ英皇太子の園芸の先生でもあります。英国皇太子はオーガニック推進者でも有名です。
(写真をクリックすると拡大表示になります)


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モティスフォント・アビー&ガーデンは モティスフォント(道が交差し 湧き水の豊かな)に アビー(修道院)が作られたのは 13世紀。
オールド・ローズがたくさん集められていて有名。 レンガの塀にバラをトレーニングしたWalled Gardenがありました。(配置図No12)
現在はナショナル・トラストが管理しています。
「Walled Garden」 と 「館とその周辺」に分けています。


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モティスフォント・アビー&ガーデンは モティスフォント(道が交差し 湧き水の豊かな)に アビー(修道院)が作られたのは 13世紀。
オールド・ローズがたくさん集められていて有名。 レンガの塀にバラをトレーニングしたWalled Gardenがありました。現在はナショナル・トラストが管理しています。
「Walled Garden」 と 「館とその周辺」に分けています。
No4:食堂入り口 No5:館 No10:キオスク No11:ギフトショップ No12:Walled Garden No13:ぶなサークル 


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その1では エントランス、中庭、ワイルド・ガーデン、ホワイト・ガーデンと見てきました。その2では ローズ・ガーデン、コテージ・ガーデン、ハーブ・ガーデン、空堀、TowerLawn、果樹園などを見てみましょう。

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シシングハースト・キャッスル・ガーデンは 詩人で作家のヴィタ・サックヴィル・ウエストと、外交官の夫ハロルド・ニコルソンが、1930年から20年以上をかけて作った庭園です。プロは限りある予算と時間の中で、間違いのない仕事をする。しかし素人は 可能であるならそのすべてを賭けて庭を造ることができる。
素人が手がけた庭の中でも 今、イギリスで人気の庭が このシシングハースト・キャッスル・ガーデンです。


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バッキンガム宮殿とビッグベンや官公庁に挟まれた まさに 都心の公園。四季の変化が美しく感じられる公園。
春には たくさん桜が見られるそうです。
ここの水鳥たちは 芝生の上をノッシノッシと歩いていました。


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グリーン・パークからバッキンガム宮殿へ向かっていくと そこには 大勢の人・人・人。
大英帝国 世界中からやってきた人がおすな押すなの群集に 宮殿は囲まれていました。 日曜日の11時半。近衛兵交代の時間かも 期待大です。(日曜日は10時だそうでした)


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ハイド・パークから続いているのが ウェリントン・アーチです。
バッキンガム宮殿の門として作られ その後 この地に移築されたそうです。
グリーン・パークは 三角形のこじんまりとした落ち着いた閑静な公園です


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ロンドンにあるハイド・パークは 西のケンジントン・パークとサーペンタイン・レイクをはさんで一つの大きな公園となっています。serpentineは 「蛇のように曲がりくねった」という意味です。この頃自然らしさを演出するには 直線より曲線で表現するという考え方が始まり それが背景にあるようです。

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ロンドンのウエストミンスターから セント・ジェームス・パーク  グリーン・パーク  ハイド・パーク そしてケンジントン・パーク と 公園が続き 緑が連続している。その公園の中で都心から一番遠く位置するのが ケンジントン・パーク。
その一部にケンジントン・パレスがある。チャールズとダイアナが住んでいた。離婚後もダイアナの公の住まいでした。
ジュリア ロバーツのノティングヒルの恋人で有名になった ノティング・ヒルは ケンジントンの近くにある。


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