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ヘンリー8世(在位1509-1547年)の居城。イギリスに中央集権体制を作った王様 フランスのベルサイユど比べれば 質素な住まいだ。元は 家臣が建てていた家で 国家財政を考えればいい話である。
マルチン・ルターの宗教改革を横目に見ながら 小さい修道院を取り潰すことで財を成し 余勢をかって大きい修道院も支配下においた。支配権力を固め 自分の離婚を了承しないカソリックを潰し イギリス国教会を作り上げた。ヴァチカンに流れる富にストップをかけ 蓄積されたカソリックの財産を国有化するという離れ業を成し遂げた。過去から積み上げられてきた宗教関係の富を 国家の財政運営にあて 強いイギリスを作り上げることになった。
取り上げた修道院関係の土地なども戦費調達のため売りにだし ヨーロッパ大陸に領土を確保しようとしたが失敗。 大陸をあきらめ 新大陸発見に向かうことになった。6人の妻との結婚・離婚をくりかえし 側室など 私生活も大いに活発。大食漢でメタボなおとっつあん。
日本では 織田信長(1534〜1582年)が活躍していたころである。
この屋敷と庭をはじめに造ったのは宗教界の最高権力者ウルジー枢機卿。ヴァチカンにも詰めていたのでイタリアの建築や造園には理解があった。イタリアの影響のある庭である。離婚問題で バチカンとのやり取りで ヘンリー8世の狙い通りに仕事が進まないことを気にして 欲しがっている館を献上することで 命乞いをしたといういわく付きの物件。



別荘として作られた居城 窓が多いですね。
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宮殿の東側に広がる Great Fountain Garden。始めて見たとき なんじゃこりゃ!!!。作りたてのときは 小さかたのでしょうが 今は 圧倒的なボリュームでした。
直径300mの半円形の庭。放射状に3筋のイチイの並木。
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宮殿の南側に広がる Privy Garden。
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一番イタリア的な雰囲気のする 沈床式庭園(サンク・ガーデン)
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右手の建物がロイヤル・テニス・コート。室内コートです。
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Google アースでみた 迷路です。底辺が71m程です。Googleアースで測ってみると 最短で253mほどで出口にでられます。「大王さま 私はどこ どこなの」 と嬌声を上げたかどいうかは 知らないが よく知っている大王さまと 初めてのお姫様では 結末が見えていますね。
結構長い迷路でした。歩いているうちに だんだん不安になるものです。左手を壁につけながら行けば出口に着けるという話があるそうです。(あとから知りました)
これだけの仕掛けを作る楽しみがあったのだろうなと 思いながらも 出口をさがして 歩きました。以外に早く出口にたどり着くことができました。
75m×55mの ローズ・ガーデン。
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