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キフツゲート・コート・ガーデンは イギリス コッツウォルズ地方の チッピングカムデンにあります。
女性3代(祖母 へザ・ミューア、母 ダイア二ー・ビニー、娘 アン・チェンバース)によって 造られてきました。NHKでも放送されて話題になりました。
庭は 高台に建つ館の庭と 階段を下りて行くLower Gardenによって成っています。

その2では キフツゲート・コート・ガーデンのいくつかのボーダーと 3代目のアンが作ったウォーターガーデンを見てみましょう。



展望台から ワイド・ボーダー, ノース・ボダー, そして イエロー・ボーダーと歩いていき ローズ・ボダーを北の入り口から入ります。長く続く径から さまざまなボーダーを見ましょう。
展望台からワイド・ボダーのほうに上がって行きました。
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生垣の巧みな形。敷石を踏んで入るとこの先右手に ローズ・ボーダー。
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ローズ・ボーダーには イギリスで一番大きいバラ キフツゲート・ローズがあります。(花は咲いていませんでした)
バラはぶなに絡み付いて大きくなっています。
隣の庭を覗き込む楽しい仕掛けがありました。
ローズ・ボダーを見ましょう。
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手前にバラ 中間に草花 奥に仕立てたバラ そして生垣。
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花一杯の庭を見て回って 花が目に焼きついた頃 突然 花がない 空間に招かれる。
饒舌でにぎやかなバラの花々。静かな時間を味わいたい時は このウォーター・ガーデンにくるのがいい。
噴水は ON・OFFで 一瞬の静寂を与えてくれる。静寂の庭だ。
2003年のガーデン・オブ・ジ・イヤー賞を受賞。
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生垣はゆったりとうねり柔らかな曲線と曲面を構成する。
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キフツゲート・コート・ガーデンとヒッドコートマナー・ガーデンは隣同士です。祖父母J.B.ミュアー夫妻がこの館を購入したのは1918年。丁度その頃 ヒッドコートマナー・ガーデンの(パリで生まれ、フランスで育ったアメリカ人の)ローレンス・ジョンストンが作っていた庭は ほぼ1910年ごろには庭のレイアウトが決まり 1920年ごろには多くの庭師が専任で働くようになっていた。つまり一番庭作りの盛んな頃に キフツゲート・コート・ガーデンの庭作りが始まったといえます。ジョンストンも素人で奥ゆかしい人物であったので お隣同士 へザ・ミューアとの いい相談相手であったのではないでしょうか。

先輩の庭やアドバイスを へザ・ミューアはどのようにしたのか 現在の生垣の形で推測してみると キフツゲート・コート・ガーデンを作った人たちの考え方が分かってくるように思いました。
ローレンス・ジョンストンは 高い生垣で部屋を作って その中に植物を飾って楽しむという庭作りをしていた。
このころ 建築でもたくさんの部屋を作り それぞれの部屋に機能や用途を与え使っていた。例えば 絵を描く部屋、日本の絵を飾る部屋 、朝食をとる部屋、中国茶を飲む部屋、、、、などなどである。住生活を用途で分類して その機能に合わせて部屋を作っていったのである。(これは執事や女中さんが 大勢いる前提があっての 住宅建築でした。)だから ジョンストンが庭の機能や用途に合わせて 生垣で囲っていったのは その当時 ごく常識的な方法だといえます。
シシングハースト・キャッスル・ガーデンでは 生垣は空間を切り裂くような鮮烈な強い線や面として 庭に秩序を与えています。ヒッドコートマナー・ガーデンの強い影響があります。
へザ・ミューアも同じように生垣で部屋割りをしています。ローズ・ボーダーなどが典型です。しかし彼女はヒッドコートマナー・ガーデンのように生垣がぐるりと取り囲んでいるという印象を出来るだけ避けていたのではと思います。生垣で箱を作って仕切るような雰囲気を避けるため 生垣の種類(色)を違えたり 高さを変えたり 揺らぐように 柔らかな曲線にカットしたりしています。
ヒッドコートマナー・ガーデンやキフツゲート・コート・ガーデンは庭の骨格を生垣で構成しました。
へザ・ミューアは 「庭を造るものは 花。」たくさんの花を 何時も楽しめるように工夫をしたのではないでしょうか。
彼女は生垣を 背景として使い その前にあしらう花々の引き立て役として扱っていたのではないでしょうか。生垣そのものを見せる時は 植物の柔らかさとか鮮やかな色を大事にしたのではと思います。

キフツゲート・コート・ガーデンは 実に花の多い庭です。それが 木造の小屋から 花が一切ない 超モダンな ウォーター・ガーデンに招じ入れられ 水音が止む瞬間の静寂に驚かされます。お花好きのおばあさんが作り出した花園に 花のない庭を作り出したのは より花を愛でるためなのでしょうか。花の銀河に出現したブラックホールのようなウォーター・ガーデンでした。